アクアスに行ったよー [雑記]
鯉のぼり、ではなく、イカとペンギンとリュウグウノツカイが流されておりますw
車で2時間程度で行けるのでまた行けると良いなぁ
今度は普通の週末か、平日に行きたいです!
忘れないために 4(咳の治療) [雑記]
漢方薬を変更することに
これで治っちゃえ!と毎回思いますが、どうなんでしょうね?
忘れないために 3(咳の治療) [雑記]
咳が出る時間はグッと減りました
なので薬は終わりだよと言われるかと思ったのですが
一度に減らされることってないんですねー
それでも、薬は毎食後から朝晩になり
舞台なども観に行けるかなぁと思っています
何かのきっかけで咳が出るのならば、分かり易くて良いのにねぇーと先生
忘れないために 2(咳の治療) [雑記]
それでも眠れないようなことはなくなり
2週間分の投薬は袋がいつも大きくて恥ずかしいほどです
忘れないために [雑記]
咳の治療です
実は数年前から良くなっては再発を繰り返す咳を放置しておりました
何が原因なのかなぁと思いつつ、市販薬(止められてるのに)を飲み
飲んでいる間だけ咳が止まり、薬が切れると咳も復活という日々
夜中に咳き込むので苦しいですし、その度に目が覚めるというのは
実に身体に良くない状態
いつも薬が切れるとまた行くことになるし、3カ月に一度は大きな病院へも通っていて
もうね、嫌だったのです
それでも眠れない状況での猛暑、当然身体は悲鳴を上げて、それでも知らんぷり
相方に怒られて重たい腰を上げ、今回、呼吸器内科を受診しました
親友のCちゃんがその病院をお勧めしてくれたのも受診するきっかけになりました
白熊のような先生は、放置していたことを叱りもせず、治したいのか治したくないのかを
一緒に治していこうと言ってくれました
それから咳止めを飲みつつ、体質改善のための漢方を連日飲んでおります
咳止めを飲んでいても、まだ出るのですよ、咳
何ともしつこい"(-""-)"
誰かにうつるような咳ではないので、仕事でもどこへでも行けますが
やはり静かなところで止まらないのは本当に困るのです(では何故治療しなかったとは言わないでw)
いつか治るかもと放置し続けていた咳と向かい合うことを決めたのでした
忘れないために書いておきます
我が家の動物たち・その2 沙亜也 [雑記]
お嬢こと、沙亜也は、1990年ごろの生まれです
頃としか書けないのは、いつどこで生まれたかもわからないから
獣医さんから私を指名でいただきました
まずは会いに行き、抱っこさせてもらいました。
それから、時間をかけて、ケージやトイレなど必要なものを買い揃え
そして2週間ぐらい後に迎えに行きました
私の部屋に連れてきた時に、沙亜也は「ふーん」と言った感じ
「あなたは私を迎えに来たというけれど、私はいつまでここに居ることになるのかしら?」
そんな感じで、全く私に甘えるとか、増してや信じるなんてしない!といった感じでした
生まれたばかりの子どもも殺されてしまい、乳母猫として獣医さんのところにいた沙亜也
私の家に来てから毎日、朝晩、抱っこしては「沙亜也はかちゃんの大事な子だよ。ずっと一緒だよ」と
呪文のように繰り返し、繰り返し伝え続けました
それまで家には帰りたくなかった私が毎日お嬢のために早く帰宅するようになり
出来るだけ家にいるようになりました
そして実家に耐えられなくなった時、最初に購入したものもお嬢用の新しいケージでした
借りたアパートで最初に組み立てたのもこれw
そしてそのケージは今、かりくるが使っています
10歳を超えてからの引っ越しはお嬢に負担をかけると思いましたが、お嬢は全く気にせず
私が一緒に居れば何の問題もありませんでした
そのアパートから脱走し、36日も迷子にしてしまったり、色々ありましたけれども
最後の最後までお嬢は私唯一の家族でした
亡くなった日は8人もの知人友人がお悔みに来てくれました
今でもお嬢の話をするとちょっと泣けて、そしてたくさん笑います
お嬢と過ごした時間はかけがえのない時間で、私の特別に幸せな時間です
かりくるを選んでくれたのも、あまり雨に降られないのも、何気に運が良いところも
全部お嬢のお蔭だと私は思っています
いつか虹の橋のたもとで再会出来たら、抱きしめてまた言ってあげたいです
「沙亜也はかちゃんの大事な子だよ。ずっと一緒だよ」
私の母であり、姉であり、娘であり、友達であり、一番大事な子
今でも心から愛しています
命日の日に…
我が家の動物たち・その1茶々 [雑記]
実家に初めて動物がやってきたのは小学生の頃でした
紀州犬で強いけれど優しい子でした
その後何の知識もないのに九官鳥が2羽いたり、金魚をすくったりして
鶏も家で飼っていたので動物には囲まれていた生活でしたね
色々あって犬たちは亡くなり、それ以降その子を含めて5匹一緒に暮らしました
最後に飼ったわんこが茶々です
初めての女の子でした
自分の両親のことを悪く言うのは生きて居るのに申し訳なく思いますが、
彼らは年齢もあるのか、生きものを飼うことに向いていない人たちです
世話もあまりしようとしないし、その生きものたちがどうしたら幸せなのかを考えられない人
祖父母や曽祖父母も動物を飼うのは生きていくためという人たちだったので
私の中にある動物飼育の価値観を作って下さったのは、もう30年以上も付き合いのある
獣医さんということになります(とても良い方です)
茶々は父が職場に来たからと前の犬が亡くなったばかりのわが家に連れてきた子でした
我が家の犬が亡くなる理由は父が散歩に行くのが面倒だからとリードを放してしまうことなのです
散歩はいつも私か弟が行くのに、たまに早く帰ったからと思い付きで放したりしてしまいます
しつけもしないので、呼び戻しも出来ないので事故に遭い亡くなるのです
最後の犬となった茶々は拾われた頃、まだ生後1ヶ月ぐらい
急に首輪をつけられ、ぽいっと庭の隅へ置かれた子犬は夜泣きをしますが
父は怒鳴るだけ…一番近くの部屋にいる私に抱かれて眠るようになりました
それから茶々は私のことを「お姉ちゃん」だと認識したようです
避妊も1回目の発情が来るまで出来ないと教えてもらったので、家の周りにあつまるわんこたちから
茶々を守って車でお散歩出来る場所まで行くようにしたので茶々は車が大好きになりました
リードを放してもきちんと呼び戻しが出来るようにしつけもし、また敷地外には出ないようにしつけしました
おきゃんで可愛い茶々は私の妹でした
茶々が我が家に来て1年後…私は獣医さんの指名を受けて、沙亜也(お嬢)を貰い受けました
沙亜也は我が家に来るまで不幸にも最低2回は捨てられていた猫
私の事もちっとも信じられないという感じでした
あなたももうすぐ私を捨てるんでしょ?とでも言いたそうな、冷めた感じです
そんなお嬢を茶々は、とても好きになってくれました
窓越しに会うと尻尾をふり、鳴かずに愛想をふりまきます
私の膝にお嬢がいると、そっと近づいてきて耳を舐めてやります
お嬢は迷惑そうな顔をしますが、怒ったりはしませんでした
茶々の散歩から戻るとお嬢はいつも窓辺で待っていました
動物病院へ行っても、遠くの公園へ行っても、茶々はいつも周りに優しく明るい性格でした
「私は茶々よ、あなたはだあれ?」
そんな感じにどんな動物にも優しくて良い子でした
そのうち私が実家に耐えられなくなり、沙亜也と家を出た際、一番気がかりなのは茶々でした
亡くなる最後まで散歩が大好きで、祖父母の介護のために連日実家へ行くと
「おかえり!お姉ちゃん!お散歩行くの?」と尻尾をふってくれる子でした
私も散歩してやりたいので、行くのですが、行きは平気ですが、帰りは歩けなくて抱っこして帰ります
10キロ以上あったのでなかなか重いのですけれど、それでも一緒のお散歩は幸せそうでした
17才で亡くなった茶々はお嬢が逝く前年亡くなりました
私が実家を出たのでその後2匹は会えなくなっていましたが、
今頃は虹の橋のたもとで仲良くやっているのでは?と思います
今でもわんこも大好きです
我が家へ来て長く生きたのは茶々だけ
最後まで私自身が面倒みられなかったのは申し訳なかったけれど、私の自慢の愛犬です
震災の日に… [雑記]
夢を見た [雑記]
土曜日も仕事をして、疲れて帰って来て
夢なんて見ないだろうと思っていたのに、夢を見た…
亡くなったYちゃんが、久しぶり!と声を掛けてくれる
娘などいなかったのに、キレイな可愛い娘を連れて
「会いたかったよ、話したいことがいっぱいあるんだよぉー」
ちっとも変わらないYちゃんに嬉しくなって、私もだよ!と言った
目が覚めた後、Yちゃんに会えたことが嬉しくて、一緒に仲良しだったIちゃんへメールした
そうしたら・・・
Iちゃん、何と来月5人目を産むそうな(*^_^*)
なんて素敵なんだろう
きっと生まれたら教えようと思ってたらしいIちゃんのことをYちゃんは教えてくれたに違いない
産み月はしんどいらしく、お腹も大きいけれど、元気だというIちゃん
女の子だったらYちゃんの名前にしようと思ってたんだけど男の子だったんだよねだって
良いなぁって思った
凄く素敵だなぁって思った
そしてとても不思議だった
Yちゃん、私たち、もう少し頑張るね
Iちゃんはまたレベルアップするとか言ってるよ
Yちゃん、また、会いに来てね・・・いつでも待ってるからね